変化・変容の流れに乗るために その3 ~言葉の力を味方につける~

こんにちは。

横浜市保土ヶ谷区のプライベートジム & サロン、トータルボディコンディショニングimproveの宮本千絵子です。

 

4月も終わりに近づき、ヘイセイも残りあと2日、5月からいよいよレイワの時代が始まります。それに伴い、ここ何回かで、この時代の変化の流れに乗って、自分を変化・変容させたいと望まれる方へ、最初に取り組むと良い「自分チャージ」について、お話してまいりました。

今回は、変化・変容の流れに乗って、なりたい自分・在りたい自分になるために、どなたでもすぐ取り入れることができ、簡単に取り組めることでありながら、その効力は絶大で、決してあなどることのできない「言葉の力」についてのお話をひとつ。

 

【言霊とかってよく耳にはするけれど…それってつまり何?どういうこと?】

言葉と、それが持つ力についてわたしが知るようになったのも、自分の香港やバリでの体験がベースになっています。このブログでも、バリの良い神様と悪い神様のお話を通じて二元性について触れましたが、過去記事にもあげた通り、この世の中は相反する二つの要素、二元的なもの、両極にあるもので成り立っています。けれども、その両極のそれぞれをたどっていけば、もとはひとつのエネルギーだということがわかります。ただその表現方法が違っているだけの、もともとはひとつのエネルギーだということです。大事なのは、もとはひとつであるエネルギーを、どのように扱うか、どのような意図で使うか、どのように表現させるか、が大切になってくるということ。なぜなら、それによって、自分の現実に現れ出てくるものが変わってくるからです。

 

たとえば、わかりやすい例として「火」を挙げてみましょう。火は人間にとって便利なもの、必要不可欠なものである一方で、その使い方や表現が違えば、簡単に人間を脅かすものになります。

もうひとつわかりやすい例として、たとえば「包丁」、これだって、おいしい料理を作るための便利な道具にもなれば、人間や生き物を殺める凶器にもなります。

これらの火や包丁、ほか何でもそうですが、それそのもの、それ自体には良いも悪いもありません。それらを扱う立場の人間が、それらをどのように、どういう意図で扱うか、それらをどのように表現させるか、それによって、その後の展開は変わってきます。ときにそれは真逆の結果を引き起こすことにもなり得ます。そう、使う人がそれをどう扱うかで、良くも悪くも、どっちにだって転んでいくのです。

 

言葉についても同じです。

たとえば、自分にとって、何か不都合なこと、困ったこと、大変だと感じるような出来事が自分の身に起きたとしましょう。その出来事を、あなたなら、どういう言葉で表現するでしょうか?

起きている出来事は、ひとつの単なる出来事であり、単なるひとつの現象に過ぎません。それを、その人がどう見て、どう捉え、どう表現し、どういう言葉でそれを呼び、どう扱うのか。たとえば、何か不都合なこと、困ったこと、大変だと感じるような出来事が自分の身に起きたとき、それを「問題」と呼んでそのように扱うか、「チャレンジ」と呼んでそのように扱うか、ほんのささいなそれだけの違いでも、その後のその人の現実に現れてくる展開は変わっていきます。

 

言葉は、それを使う人の行動を方向付け、決定付けるツールのひとつです。よって、使う言葉がその人の行動を方向付け、実際にその人をそのように動かし、その実際の行動によって、言葉に乗ったエネルギー通りの結果をその人に身に起こしていきます。

ひとつの単なる現象・出来事を、その人が自分にとって「問題」と捉え、そう表現すれば、それをそういう言葉で呼べば呼ぶほど、そういう風に認識すればするほど、その出来事はその人にとって「問題」になります。「問題」という言葉は、「克服するのが困難である」とか「厄介な出来事である」というような意味合いやニュアンスを含んでいるため、実際のその人の身に起きてくることも、そういう形の表現として現れてくるわけです。

 

一方で、起きているそのまったく同じ出来事を、その人が「チャレンジ」と捉え、そう表現し、それをそういう言葉で呼ぶとしましょう。そう呼べば呼ぶほど、そういう風に認識すればするほど、それはその人にとって「チャレンジ」になります。「チャレンジ」という言葉には、「自分を成長させるもの」「自分の器を大きくするための手段や目的」というような意味合いやニュアンスが含まれています。なので、その出来事は、その人にとって厄介な「問題」などではなく、単に「自分を成長させてくれるもの」として表現され、現実化していきます。なぜなら、その人の使う言葉によって、その出来事をそのように方向付けるからです。

 

別の例を挙げてみましょう。

たとえば、未来において「なりたい自分」や「在りたい自分」の姿を想像し、それを目指すとき、あなたならそれをどう表現するでしょうか?

「それがわたしの夢」と表現したとき、その姿はけっこう漠然とした遠くに見えませんか?

「それがわたしの目標」と表現したとき、その姿はわりと近い将来に実現可能なことのように感じませんか?

夢を、自分から遠く離れた夢として語り続ける限り、それはおそらく夢であり続ける可能性が高く、「夢が叶った」といった場合も、可能性や確率として低かった出来事が奇跡的に実現したといったようなニュアンスを含んでいるように感じます。一方で、同じ姿について「目標」として語る場合、それが実現するまでの時間の長さや距離は、「夢」と表現している時より、ずっと近くて短いように感じられます。「目標」という言葉には、実現させることを前提とし、最初から実現させることを意図しているニュアンスを含んでいて、叶うこと自体が奇跡的であるという含みをもって語られる「夢」という言葉よりも、実現させることへの方向付けや確固たる意志がより強くあるように思えます。

 

言葉には、エネルギーを方向付ける力があります。

火や包丁がそうであったように、エネルギーそのものもまた、それ自体には、良いも悪いもありません。

どんな言葉を選び、使うか、それによって、そこに生まれるエネルギーの方向性が変わっていくのです。いわゆる「言霊」と呼ばれて言葉が大切にされる所以も、そこにあるのだと思います。

 

それこそ、わたしが香港でセラピストをしていた頃、英国人トレーナーから常々「良い言葉を使いなさい、ネガティブな言葉を使わず、できるだけポジティブな言葉だけ使いなさい」と言われ続けておりました。トレーナーにその理由を訊いても、「言葉はとても大切で、ポジティブな言葉を使えばポジティブな出来事を引き寄せるから」というような答えが返ってくるのみで、わたしはそんな理由だけではちっとも納得できませんでした。巷ではちょうど「ポジティブ・シンキング」だの「引き寄せの法則」とやらがもてはやされていた時代でもありましたが、当時のわたしは、「自分の身に起きているなんでもかんでもをすべてポジティブにとらえるなんて、どうやったらできるんだ?そんなの、現実を見ないだけのただの能天気か、単なる嘘つきじゃないか」と感じていました。自分にとって大変だ問題だと思うことが起きているのに、その現実を直視せず、大変だ問題だという言葉がネガティブだからといって、ポジティブ・ワードであるところの「チャレンジ」という言葉に置き換えることは、事実に反して嘘をついているような、不都合を隠して見ないようにしてるだけの、単なる綺麗事のように思えて、心の中で反発していました。

 

そんな自分も、人間や生き物の持つエネルギーについて興味を持ち、学びを続ける中で、さらにバリで暮らして二元性のいろいろについて体感として理解するようになってはじめて、「言葉にはエネルギーを方向付ける力があるのだということ」を、身をもって知るようになりました。「そうか、だから、自分が使う言葉には気を付けなければならないのか、だから言葉は大事なのか」と、自分の実生活を通じて自分で実験しながら、徐々に本当にそうであることを理解していくことになったのです。

 

香港時代のわたしが反発心を持ったことも、わたしにとって言葉の力を実感する上では必要なことでした。言葉の力の効力を実感しやすくするためには、ちゃんとしっかり自分の身に起きている現実を直視し、観察し、内省した上で、その現実をこれから自分がどう扱っていきたいか、これから自分をどう変えていきたいかを考えて、その上で言葉を選び、使っていくということが大事だったからです。現実を見ずに、あるいは自分にとって不都合な出来事をまるでなかったことにして、ただ臭いものに蓋をするように、言葉だけをポジティブ・ワードに置き換えてみたところで、なかなかその効力を実感するまでには至りません。また、言葉はあくまでエネルギーを方向付け、決定づけていく手段・ツールであるため、単にポジティブな言葉だからといって、それをただただ唱えるだけで、そこに実際の行動が伴わなければ、事は起こりようがありません。巷で言う「ポジティブ・シンキング」とか「引き寄せの法則」などといったことも、つまりはこういうことの一切合切を簡単にマニュアル化したようなもので、エネルギーを意識的に方向付けることの大切さなどについてちゃんと理解せずに、ただマニュアル的に使っている限りでは、言葉の力の効力が現れてくるまでにそれなりに時間がかかる上に、そこに実際の行動が伴わない限り効力は発揮されようがないので、効力が現れる前に「なんだやっぱり効かないじゃん、騙された」と感じてしまい、意識的に言葉を使うことをやめてしまいがちで、結局は単にその時その時の一時的なブームになって終わるだけ、ということになりがちです。ポジティブだろうが引き寄せだろうが、そこに実際の行動なしに、ただ思うだけ、ただ言葉を唱えるだけ、では、何も起こらなくて当然です。

 

…と言いつつ、最初からそこまで重く捉えて気負う必要もないとも言えます。というのは、前回の記事でもお話した通り、心(脳・感情)と身体(行動)が密接につながっているのと同じで、ちゃんと理解してから入ろうと、理解はせずとも形から入ろうと、どちらからアプローチをしても、たとえそこにそれなりの時間差があったとしても、長い目で見れば結果的には同じ効果を生むからです。つまり、言葉の力の効力を実感する経験がまだ自分の中になかったとしても、まずは言葉を意識的に使うことを心がけてそうしていくことを続けていれば、そのうちに徐々に変化にも気づけるようになっていくでしょう。そう、「形から入る」ことは、全然アリなのですから。たとえ言葉の力を信じていなかったとしても、言葉を意識的に選んで使っていくことは誰にだって簡単にできることですし、言葉選びにはお金もかかりません。たったそれだけのことで、自分の現実が良い方向に向いていく機会を生むのであれば、むしろ儲けものです・笑。

 

起きている現実が自分にとって苦痛や苦労が多い場合、何も意識せずにいれば、また、自分に正直な人であればあるほど、ついそれを自分にとって「問題」と呼び、そう扱いがちになるのは当然のことだとも思います。起きている出来事はただの現象に過ぎないとはいうものの、その出来事がその人にとっての現実であることには変わりありません。でも、起きてしまったことは起きてしまったこと。あるのはただ、その起きてしまった出来事を、その後の自分がどのように取り扱い、どのように自分の人生に活かしていくか否か、ということだけです。つまり、その後に起きてくる現実が自分の成長につながっていれば、その時すでに過去になっているその出来事は「良かったこと」として認識され、そう扱われることになり、その先さらに悪循環に陥ってしまうならその出来事は「悪かったこと」という認識で語られ、そう扱われることになります。

 

ひとつの出来事を自分にとってプラスの結果につなげるか、マイナスの結果につなげるか。

自分の使う言葉に、どんなエネルギーを乗せ、出来事をどのように方向付けていくのか。

たかが言葉、されど言葉。

自分の中から発せられる言葉のひとつひとつが自分の現実に影響を与え、そして、それはさらに自分以外の人たちへも影響を与えていくことができます。

言葉は、その使い方次第で、祈りにも呪いにもなるのですから。

 

さあ、5月は目前です。

変化・変容の流れ、この大きな時代の波に乗る準備はできましたでしょうか?

どうぞしっかりと「自分チャージ」をして、さらにご自身の使う言葉で、ご自身をより豊かに、幸せにしていってください。

 

 

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